21.日本人はシャイ?メキシコ人はオーバー?
やはり習慣とか、文化とか、国民性とか、色々違うけれど、メキシコに永く住んでいると、やっぱり
違うなあーとか、久しぶりに日本へ帰ったりすると、私が変?日本が変?とか思たりする事もある。
メキシコ人は何事も、喜怒哀楽が激しく、それの表現もオーバー(?)日本人は、シャイと言うか。
嬉しくても、悲しくても、口の辺をちょっと、ゆがめるだけだったりして。表現が下手と言うか?
挨拶だって、日本はお辞儀だ。年配の人は何度もお辞儀したりするけど、若い人は、お辞儀も恥ずかしそうに、
ちょっと、頭をかしげる位だったりして。メキシコでは、普通は握手なのだが、ちょっと親しい人だと、
それこそ、これがこの世の別れになるような、また、100年ぶりの再会のような挨拶で、抱き合って、頬にキスし合い、
肩叩き合って、いつまでやってるのーと思うような挨拶である。
相手に自分の気持ちを伝えるのにも、どうしても日本人はシャイのようである。どうか、自分の気持ちを察してくれないかなー
と、いった感じで、なかなか、言えなかたり。表現することが、下手なのであるかも。
メキシコは言わなきゃ分からないのは、当たり前、言わなきゃ損、損であるから、時にはオーバーにもほどがあるぞー。
ってのもあるけど。
メキシコに永くいると、メキシコの習慣なんかうつって、大げさに表現しないと、物足りなく感じたりなんかするから、
習慣って、恐ろしい!
ある人も、こんな事を言っていた。彼女は旅行で、メキシコに来たのであるが、今のご主人と知り合って結婚、そのまま
メキシコに残って、十年ぶり位に日本へ小さな子供三人連れて里帰りしたのであるが、両親に会ったら、
十年の思いを全て込めて、両親と抱き合って泣こうと、思っていたのだが、実家へ着いた時、玄関で、迎えてくれた年老いた
お父さんは、「おー。帰って来たか。早く、あがれよ。」と一言。大正生まれのお父さんだって、本当は、感激いっぱいだったのだ。
でも、十年ぶりに末娘に会って、日本人のお父さん、これがせいいっぱいの言葉だったのだ。
でも、彼女は、さっき出かけて、今帰って来た時のような言葉に、肩透かしを食ったような気持ちだったらしい。
もちろんこれは、習慣や、国民性の違いで、どちらがいいとかの問題ではない。人間はどこの国の人でも、
皆、嬉しかったり、悲しかったりするのは、皆 同じ。表現が小さくても、大きくても。
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22.口の悪いポリス
メキシコ市の車のラッシュは大変である。車を持っている階級は仕事へ行くにも、子供の学校の送り迎えも、車である。
だから、朝のラッシュ、子供が学校から帰る時間のラッシュ、、もちろん夕方のラッシュ、デモでもあった時は、デモラッシュ、雨が降れば、雨ラッシュ、
給料日には給料日ラッシュ、交通事故があれば、事故ラッシュ、道路工事していれば、工事ラッシュ。ラッシュ、ラッシュ、いつでもラッシュ。
それでも、車がありゃ、車で出かけるメキシコ人。なんせ、車が持てる事が、中流以上というステータス。ボロヤに住んでも、借金しても、車、車。
そんな訳で、大変なのですラッシュ。
前に、家の近くなのですが、そこは道路が狭くて普段でもいつも、車ラッシュになるところなのですが、道路工事でますます大変になったので、
ポリスが交通整理をやっていたのだが、その年配のポリス、スピーカーを持って、大声で、一生懸命交通整理をしていた。まあ、実際には、
ポリスが、交通整理しても、あんまり役にはたたないのだが、とにかくそのポリス、口が悪いのだ。まあ、その悪態でちょっと名物男になったかな?
たとえば、タバコを吸いながら、運転していると、"No fume aqui! mejor vayase al parque!"「タバコは、ここで吸うな!公園へ行け!」また、女性ドライバーが車の渋滞中にお化粧しながら運転していると
(メキシコの女性は地下鉄の中でも、どこでもばっちりお化粧をする。)"Senora! Por que no se levanta mas temprano? muevase rapido!, rapido!"
「奥さん、どうしてもっと早く、起きなかったのだ−。早く行け!早く!」ってな調子。
また、マイクロバスなどに、"Que mugroso! muevase muevase!"「なんて、きたねえんだー!行け!行け!」また、太ったドライバーが行くと、
"Gordo! Panson!"「デブ!ビール腹!」と言った調子で交通整理していたのだ。
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23.強盗に出遭ったら....の法則
12月、クリスマス、年末。カトリックの国メキシコでは、キリストさんの誕生日祝いなさいの月。一番ウキウキした月。一番お金が入る月(一年に一度のボーナスの月)
商売の人も、一番儲かると商売、商売といった月。でも、また、お金ない人もお金欲しいの月で、スリ強盗もお金欲しい欲しいの月でやっぱり、お仕事お仕事と精出す月.
そして、今年はまたまた経済的に(メキシコは時々、経済危機があるのだ.)厳しい年になってきた。といったところで、やっぱり厳しい年末であると思う。
そこで、スリ強盗にも気をつけなければーの月である。
幸い、私は20数年強盗には出くわした事がないが、メキシコで運悪く、強盗に出遭ったら...。 の法則
1.相手をカッカさせない。自分もカッカしない。
2.それには、今持っているお金、金目の物全てあっさり諦めて、あげちゃえ、あげちゃえ。
3.自分の腕力に自信があっても、決して戦おうなど思わない事。相手は武器を持っているだろうから勝ち目はありません。
4.せいぜい、友達になろう。
私は強盗に出っくわした事はないが、出くわした事のある人の話
友人のご主人は夜はタクシーをして働いていた。メキシコ市の流しのタクシーはものすごい数。仕事がないので、タクシーでもと言う人が多いのだ。
だが、日本人の観光客の方、気をつけてくださいね。タクシーも強盗の客にでっくわす事があるけれど、強盗タクシーって言うのもあるのですから。
客に成りすまして強盗するのであるが、4人組の強盗に襲われての会話
「この車は、お前のか?」「そうだが、買ったがまだ全然借金払ってないので、俺も大変なんだー。」「そうかー。それはお前も大変だな−。じゃあ、せいぜい頑張れよ−。」
ってなものである。まあ彼、不幸中の幸いと言うところか?もちろん、タクシーで稼いだお金は全部盗られてしまったけれど、それだけで、済んでよかったと言う。タクシーの車は盗られずに済んだし、
怪我もせずに済んだのだから。強盗その気になれば、車だって、持って行くつもりだったかもしれないのだから。
タクシーの運転手が夜、客を選んで乗せれば良いと言ったところ。これがなかな難しいのだそうだ。子供連れなので、
大丈夫と思うと、敵も然る者、子供連れの強盗もいるとか。
これも、人から聞いた話、知人の知り合いの話、家に強盗に入られての事。
強盗に入られて、仕方ないから、お金を渡して、それ以上の被害がないように、友達口調でやって、相手をカッカさせてはならないのだ。
強盗は武器を持っていて、なにをしでかすか分からないし、相手は男でこっちは女だ。ようは、うまくお金だけ持って、お帰り願う事である。
お金を渡して、後は機嫌よくお帰りください。「どうぞ、気をつけてお帰りなさい。」”Bueno Senor Que
le vaya bien!”
と挨拶して、お帰り願ったと言うのだ。彼女なかなか度胸が座っている。私なんかだったら、怖くてなって、ガタガタして、そんな態度で対処できるか自信がない。
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24.天国へ行けない?
娘が、街で宗教の宣伝のビラをもらて来た。そこに書かれていたのは、「どんなに悪い事をした人でも、キリストを信じる人は天国に行けるが、どんなに良い人でも
キリストを信じない人は天国に行けない。」と。
娘との会話
「すると、殺人しても、カトリックだと天国行けるって事か?」
「うちの家族は誰も天国に行けないねえ。」
「じゃあ、天国には、悪人や罪人がこの世と同じくらい、いや、それ以上に、
ゴロゴロいるんだ。そんな天国行きたくないねえ。」
どうも、カトリックの悪口みたいになちゃった。ゴメンなさい。
さて、政治と宗教の話しはしないほうがいいと言われている。特に多民族のところではそうであろう。
宗教はお互いの宗教を認め合う事である。宗教を信じる人と信じない人では、どんなに話し合っても、それは平行線。接点がありえないのだ。それが、信じる事と、信じないことの違いなのだ。
宗教を信じることで、救われた、心の平安を得られたと言う人も沢山いるだろう。
だが、時として、その宗教を信じない人は、他者は、悪と決め付けたりする事が多々ある。そして、自分達の宗教を押しつけ、それでも、信じないと、人道に外れたことをも、しでかすので、困り者である。
人を助けるべき宗教が、平気で人殺しさえすると言うのは、歴史のうえで、在った事なのだ。
アメリカ大陸が発見されて(?)から、スペイン人がメキシコに入り込んで、この地の原住民を征服していった。征服なのだか、それを正当化する大名目は、邪教を持つ原住民を正統な正しい宗教
に改宗してやるんだという正義の名の元に、実際には、征服し原住民を家畜以下に扱い、奴隷としたのだ。
原住民が彼らの元々の宗教を捨てないと、宗教裁判と称して拷問し、また殺人さえ平気でやって、カトリックの布教を行ったのだ。
原住民の文化、書物は悪魔の文化書物として、破壊しまた灰にしてしまったのだ。
この時代の事は今のローマ法王様ファン パブロ様が何年か前に「ゴメンなさい」とおしゃった。
どんな偉い人がゴメンなさいと言おうが、その時殺された人々は、報われない。(もちろん、言わないより、言った方が良いに決まっているが。)
今、現在に生きる私達は、歴史に学ばなければならない事があるのではないだろうか?
私はキリスト教やカトリックや宗教の悪口を書いたつもりはないのだが、これを読んで、そう思う人がいたら、ゴメンなさい。カトリックは懺悔したら、許してもらえるそうだから、
懺悔しようか?やっぱり、悪口になちゃうか? ゴメンなさい。
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25.メキシコのクリスマス。その1.
カトリックの国、メキシコのクリスマスはやはり、一年中で一番のfiesta(お祭り)であろう。
街のメインストーリト、広場はもちろん、商店、会社、各家庭、教会どこもかしこも、クリスマスのイルミネーションで、ピカピカ、チャカチャカ。
街路樹や家の植木も皆クリスマスツリーに早変りピカピカ、家の中はクリスマスツリーやナシミエントと言うキリスト誕生の光景をお人形で作った飾り物、
屋根の上まで、でっかいナシミエントのお人形置いたりして、そりゃ−そりゃーこれでもか!これでもか!って感じで飾る。なかなか綺麗である。
本当に12月はどこもかしこも、ピカピカ、チャカチャカである。
我が家も子供が小さかった頃はそれでもクリスマスツリーを飾った。飾らないと、子供達がサンタクロースとサントレイエス(三賢者)が、プレゼント持って来ないというから。
でも、今は子供も大人になってサンタともサントレエスとも言う人がいないから、それを良い事に怠けて飾らない。私は本当のところ、怠けも者で、面倒くさがり屋なのだ。
メキシコ人の友達が「もう、飾ったか?」と言うから、「うちはカトリックじゃあないから、それに、子供も大きくなったから誰も、文句言わないから飾らない。
家に飾らなくっても、クリスマスツリーも、クリスマス気分も他で充分楽しめるし。クリスマス気分やりたくなくったって、その気分にさせられちゃうよ。」
って冗談半分、本気半分で言ったら、「地獄に行くぞー。」って。娘がそばで聞いていて「駄目!冗談通じないから、気分悪くするから、よしな!」
まあ、そんな訳で、メキシコでは12月に入ったら、全て、クリスマス気分。
でも本格的にはクリスマス前のポサーダから始まる。クリスマス、キリストの誕生日25日前9日間がポサーダのパ−ティーである。
今、庶民の生活が厳しいので、昔程ではないが、それでも、毎日どこかの家でポサーダがある。子供達が楽しみにしているパーティーである。
posadaと言うのはスペイン語で「宿」と言う意味で、これは、マリアがキリストを身ごもってから、王の追っ手の難を逃れて、夫のジョセフと放浪の旅をする。その時
宿を請って歩いたというところから、このマリアの妊娠九ヶ月を(日本では妊娠10ヶ月と言うが)誕生まで九日間にたとえて九日間がポサーダである。だから、ポサーダのパーティーは
ポサーダの儀式がある。
招待された人達が、行列をつくて、ロウソクなど持ったりして、道をポサーダの歌を歌いながら練り歩く。このポサーダの歌と言うのが誰も覚えられないくらい長い。
だから、教会とかメルカードなんかに、歌詞を書いた紙なんか売っていたか、くれたりしてかいて、それを見ながら歌うのであるが。最後の部分はだいたい覚えられるらしい。
最後は
ポサーダをする家の前、門とかドアの前での問答の歌、これはこんな感じ、「どうぞ、一晩の宿を貸してください。」「宿は貸せられません。ここは宿屋ではありません。」「どうか、貸して下さい。」「いえいえ、誰だか分からない人に宿は
貸せられません。」「どうか、貸してください。私の妻マリアが神の子を宿しているのです。」
そんな感じで、オーオーオー♪♪歌うわけである。最後は「ではどうぞ、お入りください。」ってな訳で、パーティーが始まる。
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26.メキシコのクリスマス その2.
メキシコのfiesta(パーティまたは祭り)
メキシコ人は実にフィエスタ好きである。パーティは音楽、ダンス、飲み物があれば、盛り上がって、一晩中、朝まで騒ぐ。隣近所の迷惑なんって思いもよらない。
音楽は、ボリュームル最大でガンガン、ジャンジャン、朝まで。だが、隣近所は誰も、文句言っていかない。自分達が、パーティーやったら、やぱっり、ガンガンだから、お互い様って訳。
まあ、パーティー好きなメキシコ人、時には借金してまで、盛大なパーティーすると言うのもある。もちろん大きなパーティーは、結婚式、キンセ アンニョス(これは、女の子が15歳の誕生日に大々的なパーティー
をやるのである。言ってみれば成人式、社交界デビューを表すのかも。)子供の洗礼、プリメラ コムニオン(これは、カトリックの敬虔な信者になったという意味の儀式)これらは、全て、教会でそのための
ミサをやって、その後、盛大なパーティーになるわけである。
そのほかもちろん、結婚記念日、誕生日、母の日、何とかの日、何とかの日、何とかにかこつけて、パーティー、フィエスタである。
まあ、最近は庶民の懐具合が良くないようで、フィエスタの数が減ったようであるが。
皆でワイワイ、飲んで、食べて、おしゃべりして、ガンガン音楽かけて、なんたって、踊り明かすこれがメキシコのパーティー。だから、メキシコの赤ちゃんは、ハイハイしたら、もう、リズムに乗って踊る。
ピニャータ
まあ今はクリスマスであるから、ポサーダに戻ろう。ポサーダの時、子供達が楽しみにしているのが、ピニャータ。
ピニャータというのは、いわゆる、くすだま割、みたいな物であるが、これも元々、カトリックの布教と関係があるらしい。そして、そのルーツをたどると、中国の豊穣祈願に行きつくとか?
まあ、ともかく、ポサーダや子供の誕生日パーティーには必ず、これが行われて、子供達が大喜びという訳である。伝統的なピニャータは素焼きのつぼで作ったのである。壷に色紙をはって、星の光が出たような形にして、この
素焼きの壷のピニャータの他に、張りぼてのダンボールで動物や子供の好きなアニメのキャラクターのものなどを作った物がある。(大好きなキャラクター人形をぼんぼん叩いて、割るのだからどうかとも思うが。)
素焼きのにしても、張りぼてのにしても、中に果物、ピーナツ、お菓子など詰めて、子供の誕生日パーティーなどの時はおもちゃなど入れたりもするが。
子供が、順繰りに、目隠しして、歌ではやされて、棒でたたいて割る。割れて中のものが出ると、それを、皆で、拾って楽しむ。
このフィエスタ好きなメキシコであるが、どんなパーティーでも、この招待客の人数であるが、実際招待した人の何倍かになるのは当たり前。
一人招待したら、その奥さんはもちろん、その家族、親戚、友達まで来るのである。だから、フィエスタしたら、ホストの全然知らない人もいっぱいいる訳である。そこが、メキシコ人のホスピタリティーのあるところ。
呼ぶほうも呼ばれる方も、もちろん、それはメキシコの常識。どんなフィエスタでも、メキシコでは、招待された人も、その友達の友達みたいな事で来た人も、ホストに歓迎されて、みんなパーティーを楽しむ。
クリスマスがもう来るというのに、フィエスタの話しにより道してしまって、クリスマスの話しが終わらない。会社などでもポサーダをやるがこれは、言ってみれば、日本の忘年会みたいなものでしょう。
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