メキシコで、ムッチャアミーゴ!

メキシコって国♪

「メキシコ」のイメージは?ときかれて「サボテン」「ラテン系」「プロレス」「サッカー」…そんな感じですか?

陽気で明るくて、人懐っこいイメージ満載なんですけど、文明発祥の地でもあり、古い歴史や独特な文化を持ち、ミステリアスで、謎に満ちたところがあり、「世界遺産」もうじゃうじゃあるんです!最近では「2012年 世界滅亡説」なんてので、マヤ暦が脚光をあびてしまったりもしましたしっ!(結局みなさん無事2013年を迎えることができて、めでたしめでたし♪ですけどね。)

スペイン語のお国なのでどうもスペインと被ってしまうところが多々アリ・・。(ワタシだけ・・?)きっとサイト内でも「そりゃ、スペインやんかっ!」という部分が出てくるかとも思われますが、ご了承タマワリタク!きっと、それは、「総人口が約1億人、スペイン語圏においては最も人口の多い国」だからでは・・。言い訳か・・。ご本家スペインよりもスペイン語話す国民がいっぱいなんですよ!そりゃぁ、もうバリバリのスペイン色って感じでしょ?!

そうそう、ここまで「スペイン、スペイン」連呼しいてると、思い浮んできました!「Chick Corea」の「Spain」♪

名曲ですね~~。日本でも多くのミュージシャンがカバーしている、「課題曲」みたいなジャズの名曲。クラシック作曲家ホアキン・ロドリーゴの「アランフェス協奏曲」が流れるイントロ…。しっかりラテン!でもせつない!みたいな♪(表現が稚拙ですみません・・。)

あっ!失礼・・。これも「スペイン」ですから!!

メキシコなら橋幸雄さんの「恋のメキシカン・ロック」でしょうか?!これも名曲ですよ!

‘君の瞳は サパタブラック

君の唇 マタドールレッド‘

ですから!

‘僕の気持ちは メキシカン・パッション

君のスタイル メキシカン・ファッション‘

…ダジャレです・・。完璧です・・・。

チャンスがありましたら、どうぞ聞いてください。確実に元気になります。

メキシコ基礎データ

やっと、メキシコに入ったところで♪

公式の英語表記は「The United Mexican States」略称「Mexico」になります。

スペイン語では、「Estados Unidos Mexicanos」(エスタドス・ウニドス・メヒカーノス)になるそうです。略称は「Mexico」(メヒコとか、メキシコ)。漢字表記がまたステキ!「墨西哥」と書くらしく、アメリカは「米」イギリス「英」フランス「仏」イタリア「伊」そしてスペイン「墨」!おおぉぉ~~シブイ!

この国名の「メキシコ」、独立戦争真っ只中、1821年に決定したんだそうです。ナワトル語というアステカの言語で、「メシトリの地」という意味です。「メシトリ」とは、アステカ族の守護神、太陽と戦いと狩猟の神様「ウィツィロポチトリ」の別名になります。アステカで最も信仰されたといわれる神様の名前に、場所を表す接尾語「コ」をつけて、この地における国家の独立と繁栄の願いを込めた国名になっているとか・・。

「アステカ」という言葉もたくさん出てきます!「アステカ文明」とか「マヤ文明」とか聞き覚えはあるかと思われますが、時系列に、整理してみますか・・。

メキシコの歴史まとめ

現在のメキシコにあたる地域からは2万年前の遺跡が発見されているらしく、つまりそれ以前から人間が住んでいたと考えられています。マンモスを追いかけていた狩猟と採集の生活、この期を「パレオ=インディアン期」とか「石期」といいます。

紀元前8000年ごろにトウモロコシの農耕が始まり、この時代が「古期」となります。

最初の土器がつくられたのが、紀元前2300年。これ以後が「形成期」とか「先古典期」となります。(最近の研究者は「先古典期」という人が多いそうです)

先古典期中期の紀元前1300年 オルメカ文明がメキシコ湾を中心に興る。この象徴的なものがサン=ロレンソ後にラ・ベンタという祭祀センターがあります。「オルメカの頭」を意味するスペイン語のCabeza Olmecaという巨石人頭像が遺跡として残っています。

先古典期後期になると、カンペチェ州のカラクムルに代表されるようないくつかのマヤ文明の祭祀センターが築かれました。(ここでやっと「マヤ文明」ですよ・・。メキシコの歴史って深いでしょ?)

その頃に平行してオアハカ州では、サン=ホセ=モゴテの支配者たちが、モンテ=アルバンの神殿都市を築きました。そしてこのモンテ=アルバンでは、先古典期中期にすでに260日暦を使用していたと石碑に刻まれているらしく、古くから高度な文明であったことがうかがわれます。

先古典期終わりごろ…円形の大ピラミッドで知られるクィクィルコが、テスココ湖の南方に。テオティワカンの巨大都市が東方に築かれます。そしてクィクィルコはシトレ火山の噴火によって壊滅的打撃を受け、テオティワカンが経済力と軍事力でメソアメリカ全域を間接的に支配する流れになります。

古典期(紀元後250年ないし300年頃)が始まり、マヤ文明の著名なセンターが全盛を極める時代となる。

7世紀頃、テオティワカンが破壊され、トゥーラと呼ばれる群小都市国家群がメキシコ中央高原を割拠することとなります。

南側に位置するショチカルコと北側に位置するトゥーラ=ヒココティトランが有力なトゥーラであったとみられています。

そんな中、マヤのセンターは一時的に繁栄はするのですが、やがて戦争、食糧不足、気候の変化、疫病、交易路の変化などの複合的な要素が重なり、9世紀頃に崩壊していくこととなります。

9世紀頃からスペイン人による征服までの時期が「後古典期」となります。

ユカタン半島北部のチチェン・イッツァ、マヤパン、ウシュマルなどの都市国家が「プトゥン」商人によるユカタン半島沿岸での交易活動による恩恵を受けて繁栄し、古典期の終末からこの時期にかけて、都市国家ないしは祭祀センターが築かれ、プウク様式の名で知られる優美な建築物が建てられていった。これが、現在の世界遺産群を構成してるわけです。

そして、メキシコ中央高原では、気候の寒冷化がおこり、北方からチチメカ人の侵略が始まることとなるのです。これがアステカ帝国の始まりになるのかもしれません。

14世紀後半、テスココ湖の西岸にあったテパネカ王国の傭兵部隊だったアステカ族は、英傑テソソモクの没後、15世紀前半、テスココ、トラコパンとともに三都市同盟を築くことになります。そして、テスココの名君ネサワルコヨトルの死後、完全にリーダーシップを握ってアステカ帝国を形成していくのです。

アステカ帝国は空前の版図を誇る帝国を形成していたといわれますが、タラスカ王国というツィンツンツァンを都とする王国がミチョアカン州にはあり、これが、アステカ帝国に負けず劣らずの力を有していたそうです。こう考えると、アステカ文明は結構新しい文明と考えられなくもありません。

このように、メキシコに繁栄した古代文明は、強大な帝国と美しい建造物だけではなく「暦」を制するだけの「天文学」と「数学力」の力があったとも言われています。まさに脚光を浴びた「マヤ暦」もそのひとつですからね。人類史上「0」の概念を発明したのも、古代メキシコ文明だということなので、カシコイ人たちだったんでしょうね~~。

そしてこの後、かの有名なコロンブスがアメリカ大陸を発見し、ヨーロッパ人によるアメリカ大陸の征服が始まります。メキシコは、1519年にスペイン人エルナン・コルテスの上陸時、スペイン人をアステカの神ケツァルコアトルと思い、招きいれたことから、スペインの植民地への道を歩んでいくこととなるのです・・。